[3日目]
宇佐神宮[神武天皇聖蹟菟狭顕彰碑→正式参拝→神武天皇ー柱騰宮伝承地→護皇神社(有志)大尾神社有志)]
→神武天皇社[神武天皇聖蹟崗水門顯彰碑→正式参拝]

1月22日(月)

宇佐神宮(小野崇之宮司)
神武天皇聖蹟菟狭(うさ)顕彰碑

神武天皇が美々津を出航され、宇佐の国造であった宇佐氏の祖が神武天皇をお迎えして饗宴を催したとされる、宇佐神宮(小野崇之宮司)へ。紀元2600年記念事業として建立された「神武天皇聖蹟菟狭(うさ)顕彰碑」で、久野潤理事の説明。その後、宇佐神宮で
正式参拝。
宇佐神宮は、全国 4 万社あると言われている八幡社の総本宮です。東京ドーム13 個分の広大な敷地を小野崇之宮司が案内してくださいました。神武天皇が歓待を受けた場所に建造された一柱騰宮(あしひとつあがりのみや)伝承地にも訪れました。

聖跡一柱騰宮(あしひとつあがりのみや)

昼食後、有志を集い、道鏡の神託の真相究明の為、和
気清麻呂公が本物の神託を受けた大尾山に鎮座する大尾神社へ向かいます。途中、和気清麻呂公を祀って
いる護皇神社で参拝し、目的地の大尾神社に着きまし清麻呂公は都を立って10日余りの旅程で宇佐神宮に着き、斎戒沐浴して神殿にぬかづき、神護景雲3年(769)7月11日、「我が国は開闢(かいびゃく)以来、君臣の分定まれり。臣を以って君と為すこと未だあらざるなり。天津日嗣(ひつぎ)は必ず皇緒を立てよ。無道の人は宜しく早く掃除(そうじょ)すべし。」とのお告げを受けます。

神武天皇聖蹟崗水門(おかのみなと)
顯彰碑
大尾神社(宇佐神宮)

つまり「皇位は皇室の血を引く者のみ継がれるべき」、「君主の地位を狙い、道をはずれる者は早く追放すべし」と告げられたのです。道鏡の野望は打ち砕かれ、万世―系の皇統が護持されました。
現在日本でも、道鏡のような男系男子皇位継承を阻む勢力は現存しているので、和気清麻呂公には、畏敬の念を禁じ得ません。
次に、神武天皇が東征で訪れた崗水門(おかのみなと)にある神武天皇社(林田浩倫宮司)に行き、正式参拝。紀元2600年記念事業として建立された神武天皇聖鏡商水門(おかのみなと)顕彰碑にて、宮司の説明。これにて、ツアー終了。福岡空港から帰路につきました。

神武天皇社(林田浩倫宮司)

皇統を守る国民連合の会では、男系男子による安定的皇位継承を訴え、建国の理念である「八紘為宇」の精神を覚醒せしめ、日本が世界平和の要になることを信念に歩んでおります。
紀元2600年には、この度のツアーでも再確認したように、国家的な祝祭プロジェクトがなされました。
紀元2700年祝祭行事が政府主導の国家的プロジェクトとして実現されるように、当会では継続して活動する所存でございます。
皆様方の御協力を切望しております。
皇統を守る国民連合の会理事長 堀口文良 令和6年2月