2日目 5月11日

四條畷神社正式参拝 摂社 御妣(みおや)神社→石清水八幡宮正式参拝

→昼食処「八幡家」→桜井駅跡→矢納神社→ホテルセイリュウ

四條畷神社正式参拝(大橋弘邦宮司)

楠木正成公の息子の小楠公(楠木正行公)を祀る。
楠木正行、正時兄弟が、足利軍との四條畷の戦いで敗北して、兄弟で刺し違えて自刃した場所。
正成公は天皇の命に従い決死の覚悟で兵庫に向けて出陣。途中、桜井の駅で、息子の小楠公を呼び寄せる。数え11歳の正行に、自分は死ぬが故郷の河内へ帰すと告げる。それに対し正行は最後まで父と共にと懇願するが、正成は自分が討死にしたあと、後醍醐天皇のために、身命を惜しみ、忠義の心を失わず、一族郎党一人でも生き残リ、いつの日か必ず朝敵を滅すようにと諭す。
四條畷神社で正式参拝。

御妣(みおや)神社参拝

御祭神は「楠木正成」の夫人、「楠木正行」の母親の南江久子。久子を慕う地元の婦人たちの要望で大正13年に摂社として祀ることを申請され大正14年に創建。
大橋宮司が母子像の前で説明。
父親楠木正成公の戦死の報に子の正行が悲しみをこらえ切れず、仏間へかけ入って腹を切って死のうとすると、子の気持ちを十分に知りながら、正行に向かい、「お前は桜井の駅の遺訓を忘れたのですか。父亡き後は、父の遺志を継ぎ、仇なす敵を討ちなさいということではなかったのですか。それを切腹とは何事ですか」と刀を取り上げ、目に涙を浮かべながら、強く戒めた。
正行は母の強い言葉に、自分の弱さを恥じ、のみならず、感動して、改めて南朝のため、この身のあらんかぎり忠誠を尽くすことを誓い、その後、幾度となく出陣、鬼神も泣かせる働きをし、四条畷に散り、その名を歴史に留めた。
母が烈婦ならば、子もまた豪勇であり、この母にして、この子ありと思う。正行は、朝廷への忠誠心と母親への孝行心を全うし、小楠公と呼ばれる所以はこういうことなのかと思う。
小楠公の生き様に痛く感銘を受ける。
そして小楠公を誕生せしめた烈婦である母親の教育の大きさを感じる。
大正13年に地元の婦人達の強い要望で建立された事に納得。
やはり、母親の教育が鍵か! 現代の教育状況を考えてしまう。
理事を含め、小楠公の母親に胸を打たれた参加者は多かった。

石清水八幡宮正式参拝

ケーブルカーに乗り、石清水八幡宮へ行く。この神社は勿論、楠木正成公のゆかりの神社ではあるが、国難の現代において行かねばならない神社として参拝。
宮司である神社本庁田中恆清総長よりお話しを伺う。
13世紀の蒙古襲来に際して、亀山上皇は、国難打開のために石清水八幡宮にて祈りを捧げられる。
それから約600年後、黒船来航・欧米列強襲来に臨んで、孝明天皇は、亀山上皇を範として石清水八幡宮にて同じように「国難打開」の祈りを捧げられる。
この時、我が国は、志士たちの奮迅の働きにより、幕末から明治維新へと新しい国家体制への移行を成し遂げる。
そして平成9年8月19日、上皇陛下による石清水八幡宮でのご親拝は、元寇や幕末動乱の時代に勝るとも劣らない危機にあるとの深いご憂念からの、亀山上皇、孝明天皇を範としたご親拝であり、危機打開と国家安泰を祈られる。
正式参拝の後境内を散策し、楠木正成公が1334年に戦勝軍利を祈り植えられた石清水八幡宮最大の楠(根周り18m、樹高30m、樹冠40m)を見学。

昼食処「八幡家(やわたや)」

地元農家さんの新鮮野菜を沢山使ったビッフェレストランでとても美味しい。参加者一同喜ぶ。

国指定史跡桜井駅跡

楠木正成公と息子の小楠公(楠木正行)との別れの場所であるが今は公園となり、子供たちが遊んでいる。
陸軍大将乃木希典筆「楠公父子訣別之所」の碑、海軍大将・元帥東郷平八郎筆「子わかれの 松のしづくに 袖ぬれて 昔をしのぶ さくらゐのさと」(明治天皇御製)の碑、1876年に駐日イギリス大使ハリー・パークスが楠木正成の忠誠心に感じたとして、表に「楠公訣児之処」と刻し、裏に英文で碑の建立事由を記した碑などがある。
ハリー・パークスは英国の外交官。パークスは楠木父子を尊敬し、自ら強く希望して桜井の駅に顕彰碑を建立する。
その碑文(訳文)には、「西暦1336年、湊川の戦いに赴くに際し、この地で子正行と別れた。
「忠臣」楠木正成の忠義を一外国人として讃えるものである。
駐日英国公使 ハリー・S・パークス 1876年11月」とある。
桜井駅跡は明治時代から大東亜戦争敗戦までは聖地のような重要な場所だったとのこと。楠木正成公と小楠公の桜井の別れ像の石柱には、「滅私奉公」と刻まれている。
しかし後日談として、ある議員は「滅私奉公」などと話したら、世論は大変な事になり、決してその言葉は言えない! なんと時代が変わったことか! 現在は子供たちの遊び場になっている桜井駅跡。日本人の一刻も早い覚醒を願う気持ちが込み上げてくる。

矢納神社参拝

楠公父子訣別の時に菊水の旗と矢を納めたことに由来する神社。
住宅地の一角にあり、祠もとても小さい。しかしこの神社に1番感動したという参加者もいた。

ホテルセイリュウ宴会の冒頭、三姉妹燦DAYの収録

葛城奈海、佐波優子、saya、安達祐子、久野潤が2日間のバスツアーについて語る。
sayaの君が代独唱もあり、大変盛り上がり終了。