[2日目]
八紘一宇の塔一皇宮神社(皇軍発祥の地)→都農神社正式参拝
→立磐神社(日本海軍発祥の地)→日向市歴史民俗資料館
1月21日(日)
神武東征出発の地へ行く!
(皇軍発祥の地、日本海軍発祥の地)
2日目最初の平和台公園の八紘一字の塔に到着。その荘厳さに、釘付けになりました。
八紘とは 8つの方向からで「全世界」を意味し、字とは家を表します。つまり八紘一字とは、世界のみんなが一つの家に平和に暮らす理想を願った言葉なのです。ところが、「八紘一宇」の文書は戦後、GHQ占領下、量塗りにされて、80 年近く経つ今日でも、軍国主義の象徴的言葉として、使われないのが実情です。
当会では、会長の葛城が、「八紘一宇」の原点となった、日本書紀に記述されている「八紘為宇」こそが、日本の建国の理念。今こそ、日本人は、「八紘為宇」の精神を喚起して国難に立ち向かい、世界平和に貢献することを訴えています。
八紘一宇の塔の前で、sayaが先導して、参加者一同、国家育唱。更に、荒木田修弁護士の先導で「海行かば」を歌いました。八紘一宇の塔を見上げながら歌い、格別な気持ちが込み上げてきました。大東亜戦争で自らを犠牲にしながらも、「八紘一宇」を心に描きつつ後代の日本人の幸せと平和を願って散華された先人を思い起こしました。我々も先人に恥じない歩みをしようと決意を新たにしたところです。会長の葛城は、携帯の待も受け画面を「八紘一宇の塔」にチュンジ。八紘一宇の塔は、1964年の東京オリンビックでは国内聖火リレー第2コースの起点となったので、その聖火台を見学して、皇常(こうぐう)神社に向かいます。
皇宮神社は、宮崎神宮の元宮にあたり、神武天皇を主祭神としています。御齢 15 歳を迎え皇太子になられた神武天皇は、生まれ育った高原町の狭野(さの)神社の地から皇宮神社に宮居され、政治を行いました。当時は未だに、全国統一されず、皇威が全国に輝くというわけでもありませんでした。万民が幸せにれらせるようにとお考えになり、御齢45 歳の時に都を中央に遷すべく、宮崎を出発。つまり、そこが神武東征の出発の地です。したがって、ここに紀元2600 年記念事業として、「皇軍発祥之地碑」が建てられています。前回のツアーで皇軍の原点は神武東征だと知り、遂に今日、その皇軍発祥之地に来て、感概無量!
次に都農(つの)神社(永友謙二宮司)て正式参拝。ここは、神武天皇が宮崎宮を発し東征の折、この地に立ち寄り、国土平安、海上平穏、武連長久を祈念した所。
その後「いけすレストラン大魚丸」で昼食。場所は日向市美々津。神武天皇が東征に船出した場所の海の目の前にある眺望抜群のレストラン。メニューは、神武天皇の船での東征出発にちなんで、「お船出定食」。
その後、美々津の立磐(たていわ)神社へ。神武天皇は、美々津で、船の建造にとりかかりました。海に漕ぎ出でる機会をうかがっていた神武天皇は、旧暦8月1日の夜明け前に最良の日と判断され急遽、出航命令を下されます。寝入っていた家々の戸を叩き「おきよ、おきよ」とふれまわり出航に間に合わせたとされています。出航を見送る人々は、急いで「つき入れ餅」を作って奉り、神武天皇一行を見送ったそうです。8月1日に行われている「おきよ祭り」の由来とされています。船の名前は「おきよ丸」。なんとも、歴史のロマンを感じる話です。紀元2600年記念事業として「海軍発祥之地碑」が建立されています。
途中、日向市歴史民俗資料館に立ち寄りました。紀元2600年記念事業として、昭和15年4月に、再現した「おきよ丸」が進水。124名の乗組員とともに大阪に向けて航海しました。全長 21m、二人漕ぎの榴24挺と帆を備えた「おきよ丸」。その時に建造された一部が展示されています。今から86年前は、神武創業の精神を鼓舞する為に、ここまでやったのです。当会も紀元2700年の国民祝祭にむけて、頑張らなくてはなりません!