楠公崇敬の足跡を辿るツアー
令和7年5月10日(土)~12日(月)
国史上、日本が国難を克服したパワーの根源を探る!
当会は令和7年4月3日神武天皇祭をもって一般社団法人となり、一般社団法人皇統を守る会主催となる第一回目の「楠公崇敬の足跡を辿るツアー」2泊3日の研修旅行を令和7年5月10日~12日にかけて開催。
一行は新大阪駅に集合した後、チャーターした観光バスに乗リ込む。今回のツアーは、鎌倉南北朝時代に後醍醐天皇の命により征賊の軍を起こすにあたり祈願した建水分神社を出発点として途中、歴代天皇陛下が国難の時に祈られた石清水八幡宮へ行き、湊川の合戦で逆賊足利尊氏軍に敗れ、「七生滅賊」を誓われつつ殉節された湊川神社に到るコースを巡ることになった。
以下、道中のスナップ写真とともにツアーの概要を紹介したい。
1日目 5月10日
新大阪駅出発→建水分神社正式参拝・摂社 南木神社→楠公生誕地
→千早神社→観心寺→竹内久美子講演会(ホテルセイリュウ)

建水分(たけみくまり)神社
正式参拝(岡山博美宮司)
楠木正成公が後醍醐天皇の命により幕府(北条軍)を征伐する軍を起こすにあたり祈願した神社であり、正式参拝。
・摂社南木神社参拝
楠木正成公が祀られている。
楠公生誕地参拝
楠木正成公が誕生したと思われる地。正成(幼名:多聞丸)は永仁2年(1294)、現在の千早赤阪村水分山ノ井で誕生。



千早城跡地 千早神社
千早神社は小高い山の上にあり、参加者は待機組と二手に分かれて出発。
20分以上かかり、ようやく千早神社に到着。
千早城の戦いは3ヵ月の長期戦となり楠木正成公の知略によって、20万~100万の幕府軍に対し、たったの1000の楠木軍で戦う。
しかし、幕府軍はいくら大軍を注ぎ込んでも攻め落とすことが出来ず。このことが天下に知れわたり、諸国の天皇を守ろうとする武士が立ち上がり、幕府を打ち倒す動きが広がっていく。
楠木正成公の千早城での勇気ある戦いに力を得て、関東では、新田義貞、中国、九州でも幕府倒幕の兵を挙げる。さらに、幕府により隠岐の島へ移されておられた後醍醐天皇を名和長年がお助けし、隠岐から脱出。ついに鎌倉幕府は滅亡。後醍醐天皇自ら政治を行われる(建武の中興)こととなる。
このツアー概要を執筆している堀口も新田義貞一族子孫。
皇位継承問題で揺れ動いている今日こそ、正統な天皇陛下をお守りする千早城の戦いにおける勇猛果敢な楠木正成公が必要だと痛切に感じる。

観心寺
楠木正成公の菩提寺で、8歳~15歳まで学問を学んだ場所。
楠木正成公の首塚参拝


今回のツアーは2日間とも東大阪市の絶景温泉旅館ホテルセイリュウに宿泊。19:00~より新著「皇室論」を著した竹内久美子氏を招いての講演会。現代の皇統の危機は、反日外国人勢力も加担している事を指摘。大阪護国神社藤江正鎮宮司も参席。
懇親会には、伝統河内音頭で有名な河内家菊水丸さんも駆けつける。菊水の名の由来は楠木正成公の家紋「菊水紋」より。今日お誘いがあれば、自分も千早城跡地へ行きたかったと話す。
良き懇親の場となり、1日目の全スケジュールは終了。