皇統皇室問題に関する要望書

令和五年九月二十七日
「日本の尊厳と国益を護る会」代表参議院議員青山繁晴先生

皇統( 父系男系) を守る国民連合の会
会長葛城奈海

皇統皇室問題に関する 要 望 書

私ども、皇統( 父系男系) を守る国民連合の会は、令和元年十月に結成以来、皇統( 父系男系) を守る活動をして参りました。現在における皇統皇室問題について検討し、左記のとおり三点要望させて頂きます。

一 萬世一系の皇統護持

萬世一系の皇統を護持するために、真正保守勢力が小異を捨て、大同団結して取り組むべきは左記二点にあります。

一、将来的な悠仁親王殿下への皇位継承を守り抜くこと。
二、GHQによって皇籍を剥奪された旧宮家から、しかるべき方々に皇籍に復帰して頂き、天皇陛下をお支えする皇室の藩屏を再建すること。

 皇統護持のために赤誠をつくしておられる方々の中には、皇位継承に関する有識者会議が令和三年十二月に提出した最終報告書において、「皇位継承については悠仁親王殿下までの流れをゆるがせにしてはならない」と明記したことにより、皇位の男系継承は揺るぎないものとなり、今後注力すべきは皇室の藩屏再建、即ち旧宮家の皇籍復帰実現にあると主張する方々がおられます。

 しかし、女性天皇を擁立することにより、女系天皇を誕生せしめ皇統断絶を謀り、我が国の国体を破壊することを企む勢力は、その野望を決して諦めてはおりません。

 秋篠宮家に対するバッシングは平成十八年九月六日に悠仁親王殿下が御生誕遊ばされた頃に始まり、既述した、皇位継承に関する有識者会議が最終報告を提出した以降に一層過激さを増しております。反対勢力は、秋篠宮家は皇位継承に相応しくない宮家であるとの印象操作を執拗に続け、愛子内親王殿下こそ皇位を継承されるべきお方であるとの世論形成に血道をあげており、油断は許されません。

 また、今日における皇統先細りの淵源は、GHQが将来的な皇統断絶を狙い、事実上の皇室財産没収によって旧十一宮家五十一方を余儀なき皇籍離脱へと追い込み、皇室の藩屏が破壊されたことにあり、これは戦後レジームの一面であります。

それ故、我が国が悠仁親王殿下に至る皇位の男系継承を守り抜き、天皇陛下をお支えする皇室の藩屏再建を実現することは戦後レジームからの脱却の象徴となり、日本国民が戦後体制とは何かに目覚め、この桎梏から脱却するための突破口にもなり得るものと確信致します。

 「日本の尊厳と国益を護る会」の先生方におかれましては、将来的な悠仁親王殿下への皇位継承を揺るぎないものにすると共に、一日も早く天皇陛下をお支えする皇室の藩屏を再建するためにご尽力下さいますよう伏してお願い申し上げます。

二 秋篠宮家の警備・護衛体制強化

 皇位継承に関する有識者会議が令和三年十二月に提出した最終報告書において、「皇位継承については悠仁親王殿下までの流れをゆるがせにしてはならない」と明記し、政府も度々同様の見解を表明しております。

 即ち、皇位継承順位は第一位が秋篠宮皇嗣殿下、第二位が悠仁親王殿下であることは確定済みであり、秋篠宮家におかれましては本来東宮家相当の警備・護衛体制が敷かれるべきであります。

 平成の御代まで東宮家の警備には専属の組織(皇宮警察本部警備部の警備第二課)が存在しておりました。

 かつて、皇位継承資格第二位の悠仁親王殿下に於かれましては、平成二十八年十一月二十日に、殿下が乗られた車が高速道路上で追突するという事故を起こし、また、平成三十一年四月二十六日には悠仁親王殿下が通学していらっしゃったお茶の水女子大学付属中学校内の殿下が使用されていた机の上に二本の刃物が置かれているという事件が発生しております。

 然るにその後、警備・護衛の強化を図る施策は全くとられることなく、現状では秋篠宮家の警備・護衛を専属で担う組織は存在しません。宮家全体の護衛を担当する「皇宮警察本部護衛部の護衛第二課」が業務の一環として秋篠宮家の護衛を担当しているに過ぎず、秋篠宮家に対する警備・護衛は極めて手薄な状態で放置されております。

 悠仁親王殿下におかれましては令和六年九月六日に目出度く満十八歳におなりになり、高等学校ご卒業の頃合いを見計らって一般の成年式に当たる「加冠の儀」が執り行われる予定です。皇位継承順位第二位の青年皇族として皇室の諸行事を担って頂くことになり、万々が一にも悠仁親王殿下の身にもしものことがあってはなりません。

 「日本の尊厳と国益を護る会」の先生方におかれましては、どうか国会において、秋篠宮家の警備・護衛体制強化実現のために、ご尽力下さいますよう伏してお願い申し上げます。

三 「建国記念の日(紀元節)」には『海道東征』の演奏

 『海道東征』は、昭和十五年、初代神武天皇が「八紘為宇」の大精神の下に橿原の地において建国を果たされてから二千六百年に当たることを奉祝して作詞作曲された交声曲(カンタータ)です。作詞に当たった北原白秋は叙事詩として壮大な神武東征の偉業を蒼古な調べで詠い、ドイツ留学によってバッハのカンタータを自家薬籠中の物とした信時潔が作曲に挑みました。

 この曲は戦前全国各地で盛んに演奏されましたが、戦後はGHQの占領政策によって封印されたまま、長い間日の目を見ることはありませんでした。しかし戦後はこの曲の復活を望む関係者の努力によって、以来全国各地に演奏の輪が広がっております。

 二千六百年以上前の建国の歴史が交声曲となって現在も演奏されている国は日本のみであり、我が国は神話と歴史が連続性を持ち、古代における建国の歴史が現在も生きている世界でも稀な国でありましょう。

 我が国が戦後体制から脱却し、本来の姿を取り戻すためには、GHQが墨塗りし日本の精神史から抹消したもの、取り分け民族精神の源泉から湧き出るものを探り当て汲み上げることから始めなければなりません。

 各民族が永々脈々と継承し育み、歴史の重みに耐え抜いてきた伝承や伝統は、人々の営みを豊かにしてきたからこそ継承されてきたのであり、それが無ければ時代を経て淘汰され消滅していたことでしょう。長い歴史に耐え抜いてきたものこそ真実かつ優れた存在です。

 『海道東征』は演奏する者にとっても、聴く者にとっても、言霊と音霊によって民族の生まれの根源を呼び起こす力を持っています。この曲が全国各地で、取り分け二月十一日の「建国記念の日(紀元節)」に演奏されれば、理屈ではなく、自ずと国民が日本とは如何なる国かに目覚めて民族精神を呼び起こし、日本が戦後体制から脱却して本来の姿を取り戻すことに大きな力を発揮することは間違いありません。

 年末にベートーヴェンの第九が演奏されるように、建国記念の日(紀元節)」には全国各地で盛んに『海道東征』が演奏されれば、日本は生まれ変わるものと確信いたします。


<挨拶> ※動画の途中から再生されます。

<本題> ※動画の途中から再生されます。