「皇統を守る会」令和8年4月4日(土)~6日(月)バスツアーのご案内
「葛城奈海と佐波優子」と行く!
松下村塾から立ち上がった日本の夜明け
天皇親政の源流を辿るツアー
今回のツアーは、明治維新の原動力となった吉田松陰と高杉晋作の足跡に焦点を当て企画を立てました。
1867年1月に明治天皇が即位され、大政が幕府から朝廷へと奉還され、天皇親政を宣言(王政復古の大号令)によって明治維新が成就しました。
天皇親政の原動力となり維新への道筋をつけたのがまさしく長州の志士であり、その精神的な支柱が吉田松陰でした。
師吉田松陰の志を受け継ぎ、奇兵隊を創設し、功山寺決起により幕府に対する恭順に傾いた藩論を一気に覆し、長州をして維新へと向かわせたのが高杉晋作でした。
故安倍晋三元総理は吉田松陰を深く畏敬し、高杉晋作(晋三の「晋」は晋作から)のような「動けは雷電の如く発すれば風雨の如き」行動力を以って日本と世界の為に戦った政治家であり、ツアーの途次には故郷長門市にある故安倍晋三元総理の墓所参拝を企画しております。
ツアーのガイドは萩市出身で、藩校明倫館を起源とする明倫小学校の卒業生でもある河村建一(元内閣官房長官秘書官)さんが担当します。
▪️旅行日程のご案内
1日目 令和8年4月4日(土)
羽田空港 9:30集合 飛行機に搭乗
羽田空港 - 山口宇部空港(昼食は各自) - 東行庵・記念館 - 中山神社・愛新覚羅社 ―櫻山神社/桜山招魂場(正式参拝) - 下関グランドホテル (夕食懇親会)
2日目 令和8年4月5日(日)
下関グランドホテル - 功山寺 - 安倍晋三氏の墓
― 萩の城下町 - 高杉晋作誕生地 - 源泉の宿 萩本陣 (夕食懇親会)
3日目 令和8年4月6日(月)
源泉の宿 萩本陣 - 萩・明倫学舎 - 松陰神社(正式参拝) - 玉木文之進旧宅 - 網焼きレストラン見蘭(昼食) ―萩城跡 指月公園旧厚狭毛利家萩屋敷長屋 - 野山獄 - 山口宇部空港 - 羽田空港 20時ごろ到着予定
▪️ご宿泊のご案内
・1日目 4月4日(土) <下関・山口県>
下関グランドホテル(1泊2食付)
関門海峡を目前に臨み、「海響館」「唐戸市場」「カモンワーフ」へは徒歩1分。対岸門司港レトロ地区へはホテル前から発着の船で約5分。
・2日目 4月5日(日) <萩・山口県>
源泉の宿 萩本陣(1泊2食付/和洋室)
松下村塾の近くに佇み、地下2000mから汲み上げる自家源泉温泉はイオン濃度が高く、美肌や関節痛などに効果があると言われている。
・ホテルでの懇親会では、葛城奈海、佐波優子の皇統を守る会チャンネルの公開収録、その他企画を検討中。
■ ご昼食のご案内
1日目:山口宇部空港内
2日目:長門市
天皇・皇后両陛下が宿泊されたこともあるなど、高い格式を誇る旅館
⚫︎日露首脳会談の舞台
2016年12月、元安倍総理がロシアのプーチン大統領を招き、日露首脳会談の会場。安倍氏が自身の故郷の魅力を世界に発信するために選んだ場所として有名。
⚫︎地元の味覚
「この土地で採れたものを、この土地の料理法で、この土地で食す」という哲学に基づいた「三土料理」が提供され、山口県の旬の豊かな食材を活かした料理を堪能。
3日目:網焼きレストラン見蘭 萩市牧場から食卓へ。ブランド牛生産者直営のレストラン。天然記念物“見島牛”から作った霜降り牛肉「見蘭牛」を主力商品とする網焼き専門店。
・日程 令和8年4月4日(土)~6日(月)
・旅行代金 138000円
羽田空港集合・解散、飛行機とバスを利用します。
・羽田空港以外からの参加者も対応可能です。旅行代金は別途相談させていただきます。
・櫻山神社と松陰神社の2ヶ所の正式参拝玉串料と2日目、3日目の 昼食代を含みます。
・旅行当日までまだ日数があり、多少の変更の可能性があります。
・定員35名 申し込み締め切り3月4日(水)
・会員専用ツアーなので、未会員の方は会費(年会費5000円)が別途必要となります。
・旅行代金の振り込み先
GMOあおぞらネット銀行 法人営業部
普通預金口座 2417927 一般社団法人 皇統を守る会
(GMOあおぞらネット銀行は、全国の提携ATMでもご利用可能です。
・お問い合わせ 一般社団法人 皇統を守る会
Koutou.mamoru@gmail.com
担当 中村敏幸 090-2568-3609
[史跡のご案内]
▲中山神社(下関市)(1日目)
明治天皇の叔父にあたる中山忠光を主祭神として祀っており、忠光公は明治維新の先駆者として活動。
- 中山忠光公は、幕末の尊王攘夷派の公家。
- 忠光の姉である中山慶子は、明治天皇の生母。
⚫︎中山忠光公と明治維新の関わり
- 忠光公は、公卿という立場でありながら、尊王攘夷運動に身を投じ、1863年には、天誅組の変を首領として討幕運動の先頭に立つが、天誅組の挙兵は失敗に終わり、長州藩に逃れるが、1864年に長州藩内の俗論党によって暗殺される(享年20歳)。
- 忠光公は、その生涯を倒幕と尊王攘夷に捧げた明治維新の先駆者の一人として評価されており、その精神は後の勤王の志士たちを奮い立たせ、明治維新の成就に繋がる。
⚫︎中山神社の創建と変遷
- 忠光の死後、1865年に長州藩によって、忠光の墳墓があるこの地に小祠が建てられ、「中山社」と称され、神社が創建。
- 明治維新実現後、忠光公は明治維新の功労者として扱われ、神社は発展し、明治天皇と、天照皇大神が合祀され、現在に至る。(合祀は1995年)
▲愛新覚羅社(中山神社の境内に鎮座する摂社・末社)
⚫︎三柱を祀る。
- 愛新覚羅 溥傑(ふけつ)命:清朝最後の皇帝・溥儀の弟。
- 愛新覚羅 浩(ひろ)命:溥傑の妻(旧姓:嵯峨 浩)。
- 愛新覚羅 慧生(えいせい)命:二人の長女。
⚫︎嵯峨 浩は、中山忠光の曾孫(忠光の娘・仲子の孫が浩)であり、「日満親善」のため、清朝の皇帝の弟である愛新覚羅 溥傑(ふけつ)に嫁ぐ。
⚫︎境内への創建理由
嵯峨浩は、戦後の混乱を経て、日本と中国の架け橋となることを願い、祖先である中山忠光が祀られている中山神社の境内に、夫(溥傑)と長女(慧生)と共に祀られることを遺言し、この遺言に従い、1988年に愛新覚羅社が造営
▪️中山神社は、幕末の人物を祀るだけでなく、その血筋を通して明治天皇、そして中国の清朝皇室へと繋がる、極めて稀有な歴史を持つ神社
▲櫻山神社/櫻山招魂場(下関市)(1日目)
⚫︎日本初の招魂場
高杉晋作の発議により、国のために命を落とした志士たちの霊を祀る「招魂場」を築く。
⚫︎靖国神社の原型
櫻山招魂場がモデルとなり、後に全国に招魂社が広がり、現在の靖国神社(旧東京招魂社)が創建。
⚫︎幕末の志士たちを祀る
御祭神:吉田松陰の神霊を主祭神とし、発議者である高杉晋作をはじめ、久坂玄瑞、入江九一志士や、長州藩の諸隊(奇兵隊、報国隊など)に所属して殉国した人々、合わせて391柱が祀られてる。
身分や階級に関係なく、国に殉じたすべての志士たちの霊が平等に祀られているのが特徴。
⚫︎奇兵隊ゆかりの地
この地は、高杉晋作が結成した奇兵隊の調練場跡。
▲功山寺 (下関市)(2日目)
⚫︎幕末の歴史的な舞台(高杉晋作の挙兵)
- 七卿潜居の地: 幕末、京都を追われた尊王攘夷派の公家である三条実美ら五卿(七卿落ち)が、長州藩に匿われ、功山寺の書院に潜居。
- 高杉晋作の挙兵: 1864年12月15日、長州藩の俗論派によって失脚していた高杉晋作が、この功山寺を訪れて五卿に決意を伝え、わずか数十名の同志と共に決起(回天義挙)。 この挙兵が成功し、長州藩の藩論が再び倒幕へと転換する大きなきっかけとなり、「維新発祥の地」の一つとされる。
- 境内には高杉晋作の馬上姿の銅像が建てられている。
明倫学舎(萩市)(3日目)
長州藩の教育の中心であった明倫館の跡地
「明倫館」は、江戸時代の日本最大級の長州藩(現在の山口県)の藩校
⚫︎時代の転換期を担う傑出した人材の育成
明倫館の最大の功績 明治維新の立役者たちを数多く育て上げる。
木戸孝允(桂小五郎) 高杉晋作 伊藤博文 山縣有朋
吉田松陰(明倫館の教授) 楫取素彦(小田村伊之助)
⚫︎吉田松陰も明倫館の教授として教鞭をとり、特に若い藩士たちに大きな影響を与え、維新の精神的な土台を築く。
松下村塾 主宰者 吉田松陰(1856年~)(萩市)(3日目)
歴史を変えた「奇跡の私塾」
⚫︎驚異的な人材輩出力
松下村塾は、わずか1年余りという短い指導期間と、小さな塾舎から、明治維新と日本の近代化を主導したリーダーを数多く輩出。
高杉晋作 久坂玄瑞 伊藤博文 山縣有朋 山田顕義
少人数かつ短期間の教育機関が、日本の歴史の転換点を担う重要人物を同時に世に送り出した例は、世界的に見ても稀有。
⚫︎身分や階級にとらわれない平等な教育
当時の長州藩の公的な教育機関「明倫館」が武士階級の子弟が中心だったのに対し、吉田松陰主宰の松下村塾は、身分、家柄、年齢、職業を一切問わず、志ある者すべてを受け入れる。
武士(上士・下士)、町人、農民の子弟、さらには浪人など、多様な背景を持つ若者が、わずか8畳の講義室で共に机を並べる。
・実力主義: 形式的な学歴ではなく、個人の「志」と「実践力」を最も重んじる教育を行う。
⚫︎ 「志」と「行動」を重視した教育方針
松下村塾の教育方法は、従来の学校とは大きく異なる。
- 対話と討論: 松陰が一方的に教えるのではなく、塾生同士が激しく 議論や討論を交わし、自らの考える力を養う。
- 「志」の確立: 松陰は塾生に対し、「何のために学問をするのか」「いかに生きるべきか」という人生の根源的な問いを投げかけ、「志」の確立を促す。
- 知行合一「行動につながらない学問は無意味である」として、学んだことを現実の社会や国家のために実行に移す「生きた学問」の重要性を説く。
松陰の熱烈な情熱と実践を促す思想が、小さな塾舎から日本の未来を切り開く人物を生み出す。
玉木文之進旧宅(萩市)
⚫︎ 「松下村塾」発祥の地
「松下村塾」と名付けたのは、松陰の叔父である玉木文之進。
この旧宅が、「松下村塾」の最初の拠点であり、松陰の叔父から叔父へ、そして松陰へと受け継がれた教育のバトンの出発点。
⚫︎吉田松陰の「公」の精神を叩き込んだ場所
この旧宅は、吉田松陰が少年時代に、叔父である文之進から最も厳格な教育を受けた場所であり、 「公」を優先する武士道精神を徹底的に叩き込まれる。
⚫︎乃木希典の師: 玉木文之進は、乃木希典の教育にも深く関わっており、明治維新と近代日本の軍人を育てた「厳格な教育者」の師弟関係の始まりの地でもある。
日本のリーダーの礎を築いた「厳しさ」と「公の精神」の原点に触れることができる。
野山獄跡(萩市)
「絶望の淵から、維新の志が生まれた場所」
高杉晋作ら多くの若き萩藩の武士を収容した牢獄の跡地。
吉田松陰は密航失敗の罪でここに投獄(1854年)されるが、絶望することなく、他の囚人たちに、いかに「義」を貫き、正しく生きるかという実践的な内容とした「獄中教育」を実践。この情熱こそが、後の松下村塾の教育の原点となる。
その後、松陰の老中暗殺計画が発覚し、再び投獄され(1858年)、
安政の大獄が始まると、松陰は江戸へ送致され、「留魂録」を、1859年11月20日処刑される前日に伝馬町牢屋敷で書き、伝馬町牢屋敷で尋問の末、(1859年)に処刑される。
留魂録より
「死して不朽の見込みあらばいつでも死すべし」
「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし大和魂」
松陰にとっての「不朽」とは、個人の名声ではなく、「日本の夜明け」という大義の実現を指している。


